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せんこーこーこーりーしゃった!った!

野村史子 著「薔薇はもうこない」が好きすぎる(フル尺版)

 突然ですが、私は野村史子さんの「薔薇はもうこない」という作品が大好きです。ということで、野村史子さんの「薔薇はもうこない」という小説作品が好きすぎる話をします。大好きな作品なのにネットに紹介記事が少なすぎて悲しかったので書くことにしました。

 この界隈ではもはや古典な域に来ている作品ですが、作品の素晴らしさは全く衰えていないので、本当におすすめです*1。この作品に限らず、野村史子さんの作品はどれも激しくて美しくて最高なので機会があれば本当に読んでほしいです。追記で始まります。凄い勢いでネタバレしているので注意してください。

 ところで、この記事クッソ長いです(恒例行事)。自己満足が全開です。12000字程あります。キモいです。ぶっちゃけ疲れます。私も書いていて疲れました。 ので、8000字程に削った(それでも長い)版をつくったので、まずはそっちを読むことをおすすめします:

mi8no.hateblo.jp

 

1. 「薔薇はもうこない」とは

 

テイク・ラブ (角川文庫―スニーカー文庫)

テイク・ラブ (角川文庫―スニーカー文庫)

 
テイク・ラブ (KAREN文庫Mシリーズ)

テイク・ラブ (KAREN文庫Mシリーズ)

 

 「薔薇はもうこない」とは、野村史子さんが書かれた所謂SMモノのJUNE小説(要するに耽美小説)で、1986年-87年にJUNEにて掲載された作品です。約30年前の作品です。ちなみに上記の2冊で読むことが出来ます。

 

 1-1. 野村史子とは

 野村史子さんとは、JUNEで連載されていた「小説道場」に衝撃的な作品を投稿し続け、多くの読者たちを魅了させたにも関わらず、僅か2年ほどで執筆活動を終えた、JUNE文化をかじっている者なら誰もが知る伝説の作家さんです。詳しくはググってください(人任せ)。JUNEの世界でしか生きることが出来ない作品を書き続け、JUNEの世界を駆け抜けた後、筆を折ったJUNEを愛し(※私の勝手な幻想)JUNEに愛された(※マジ)JUNEオブJUNEな伝説の女性です。

 私にとって、野村史子さんは腐女子として崇め奉っている人物の一人である程度には大好きな方です。私が彼女の作品と出会ったのは2017年のことだったのですが、約30年前の作品であるにも関わらず、彼女の作品たちのインパクトはどれもとてつもないものでした。

 耽美小説なので、要するに男と男があれやこれやする作品ですが、野村史子さんの小説は「耽美小説」の一言では片づけられない程のマジとんでもないハードコアです。ドエロいとかそういうのではなく、作品内で描かれる、悲しい運命に落ちて行く男達の姿が濃く激しくて読んでいて苦しくなるのです。その苦しさが気持ち良すぎる。闇の腐女子とか悲恋BLが好きな方には間違いなく刺さる感じのお話を描いています。でもBLとJUNEは違うのでBLのテンションで読むと火傷します。

 野村史子さん自体の話もめちゃくちゃしたいのですが、話が更に長くなるのでとりあえず今回は割愛して、そんな彼女が描いた珠玉の作品たちの中で私が最も好きなのが、「薔薇はもうこない」なんです!!!!!!!!! も~~~この作品が本当にたまらない!!!! 苦しい!!!!! 美しい!!!!!

 小説道場の道場主である中島梓先生が設定がありえなさすぎて爆笑していた程度には超次元設定&展開な作品で、私も最初読んだときはそこまでハマらなかったんですが、後からじわじわと来て、今では大好きな作品の一つとなりました。めっちゃどうでもいいのですが、私は以前、2日間座禅を組まされる苦行をやらされたことがあって、その時に頭の中を駆け巡っていたのがこの作品です。SMモノなので尚更煩悩感が凄い。

 

<ここからネタバレ注意>

2. あらすじ

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(引用:サン出版「JUNE」1986年11月号 p.99)

 

 この作品は、ざっくりいうと、倒産寸前の会社の社長の息子である藤波圭が、会社再建の資金援助を受けるため、圭のいとこで、大企業経営者一族の息子の日高俊明のいわゆる性奴隷にさせられ、それがきっかけでお互い破滅の道を歩むことになる悲しくてだけど美しいお話です(雑)。

 お金のために体を差し出す、今となっては商業BLよく見かけるシチュエーションですね。こうやって書くとほんとギャグですね。でも実際ギャグなんですよね、設定だとか痛めつけられてるシーンは。しかし前後のエピソードがマジ!!! 悲痛!!!!!! 美しい!!!!!!!!!!!!!!!!!(そしてこの文章は美しくない) んだけど、まあその話は後でするとして、とりあえず大まかなあらすじをお話します。

 日高の性奴隷になることを求められた圭は、当然最初はそれを拒みます。しかし、父親の死後、会社のため身を粉にして働き続けていた圭の姉が、あることがきっかけで命を落としてしまったことにより事態は急変します。姉の夫であり、圭が密に恋心を抱き続けていた杉原に、姉が死んでしまったのはお前のせいだ、償えと責め立てられ、心に深く傷を覆った圭は日高の元へいくことになり、日高の元で性奴隷的日々を送るようになります。

 ところで、圭の誕生日には毎年匿名で「愛をこめて」というメッセージカードと共に薔薇の花束が届いていました。その送り主は日高だったことを圭は知ります。日高は圭のことを愛していましたが、彼の愛はあまりにも歪んでいました。しかしそんな日高を歪めたのは若かりし頃の圭の何気ない一言だったのです。日高は圭をただ単純にセックスの道具として利用するのではなく、圭の体を痛めつけ、肉体的苦痛を与え続けました。そして、傷だらけで惨めな姿になり果てた圭はついに日高の手により、杉原の前で自分の姿を晒されてしまいます。しかし杉原に慈悲はなく、それにより最後の希望まで失ってしまった圭は、絶望のどん底に突き落とされます。日高を恨んでおかしくないはずの圭でしたが、日高と過ごす中で日高が負った心の傷の痛さを本当に理解したことにより、圭は日高に対して愛情に似た何かを感じるようになります。

 圭が自分のほうに向き始めたことに気が付いた日高は、愛しい人を歪んだ方法でしか愛せない自分の本当の意味に気が付き、苦しみました。悩んだ末、日高は圭を永遠に愛し続けるため、自ら命を断つという結論に至ります。日高の死に涙した圭は、日高を追いかけるようにして、「薔薇はもうこないんだ」とだけ書かれた遺書を残して命を絶ったのでした。

 って感じの話です。あらすじだけじゃ「そんな熱狂する話か~?」って感じですし、やっぱりもはやギャグ状態なんですけど、いやこれがとてつもなく萌える作品なんですよ奥さん.....。

 

3. ここが好き

  やっと書きたいところに辿り着いたよ.....相変わらず遅漏......。

 3-1. そもそも挿絵が美しすぎる

 「いや本編の話しろや!!!」ってつっこみが聞こえてきますが、まあ落ち着いてください。

 この作品の挿絵、ありえんほど美しいのです。特に魔木子先生のほうが(個人的嗜好によって差があります)*2

 今更ですが、「薔薇はもうこない」は、「テイク・ラブ」というタイトルの文庫本*3に収録されています。一章を見て下さったら分かるように、この本は91年にスニーカー文庫から単行本として発売された後、07年にはKAREN文庫からカバー及び挿絵*4担当が別作家さんに変わって再発売されています。ちなみに一章で載せた絵は魔木子先生が手がけています。

 JUNEに掲載された時の扉絵・挿絵担当は、魔木子先生でした。つまり、07年に発売されたほうの表紙・挿絵担当の作家さんと同じであるということです。まあ魔木子先生の絵がこの作品の病的な世界観とめちゃくちゃ合っている!!!!! たまりません!!!! 勿論麻々原さんの絵のほうも素敵ですし、魔木子さんの絵よりは間違いなくとっつきやすいのですが、魔木子先生な薔薇はもうこないは美しい以外の何物でもない!!!!

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(左:サン出版「JUNE」1986年11月号 p.99 、右:サン出版「JUNE」1987年1月号 p.99*5

 ところで、この雑誌引っ張り出してきて読み直してたら、もくじで「問題小説『薔薇はもうこない』」とか書かれていてめっちゃ笑った。

 フゥ~~~~~ッ! めっちゃ耽美~~~~!!! 繊細なタッチが美しい~~~~ザ・JUNEって感じぃ~~~~~~↑↑ 危険な香りがたまんねえ~~~~!!! 互いが互いを破滅に導き、儚く散っていく二人の姿を忠実に再現している~~~~!! って気持ちにしてくれるこの美麗な挿絵が最高。

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(引用:サン出版「JUNE」1987年1月号 p.105) 

 そして気が狂うほど大好きな挿絵を見てほしい。実際、圭はもっとボロボロで憎しみに満ちた目で日高を見ている気がして仕方ないけど、美しさの前ではそんなことどうでもよくなるのでオッケーオッケー(?)そして例の苦行座禅中、私はこの挿絵を延々を思い出しては静かに興奮していました。煩悩しかない。

 というわけで、JUNE掲載な薔薇はもうこないには、魔木子先生の美麗挿絵の大バーゲンセール状態が繰り広げられているので、是非見てほしい......。ところで07年のほうの挿絵がこれだったりするのかな? 所持してる方が居たら教えてください。っていうか好きなら買えよ。

 とはいえ、JUNE文化に免疫がない方にとっては魔木子先生の絵はなかなか圧があるのではないでしょうか。私も最初魔木子先生表紙のテイク・ラブを見た時「物騒だな.....」って感想を抱きましたし(怒られろ)。そういう方は是非麻々原さんなほうで楽しんでみてください。麻々原さんなほうでも良い想像が膨らんで楽しいのは楽しいんですが、でも魔木子さんな絵で想像するほうが更にハードコアみが増して世界に入り込めるような気がします。

 

 3-2. 作品で描かれるテーマが美しすぎる 

  もうこれこれこれ~~~~~!!!! もうこの作品の一番良いとこはこれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!*6

 この作品は(文庫版換算で)約80Pほどの短編小説なのですが、もう情報量が凄い。濃ゆすぎる。1Pも無駄なページがない。1ページ1ページ全てがこの作品で伝えたいであろうテーマに向かっていく力が凄い。そして最後のページで全てが美しく納まり、そして儚く消えてゆく姿を描くことが出来るあの技術はもう「伝説の作家」としか言いようがない。

 

 野村史子さんの熱狂的ファンな方からしたら、読みこみの浅さで怒られてしまうかもしれませんが、私的にはこの作品では主に、

 ・歪んだ方法でしか愛せない男の悲劇とそんな愛が向けられてしまった男の悲劇

 ・知らないという罪と知り過ぎたという罪の間で苦しむ人々の悲劇

が描きたかったテーマなのではないかと思っており、この二点こそが私がこの作品に魅せられた要素なのであります。個人的にバブリーなシチュだとか激しめなSM描写だとかはこの二点を美しく魅せるための要素にしか過ぎないのではないかと思っています。......が実際はどうなんだろう(自信持てよ) というわけで、この二点についてお話させてください*7。まさにいま危険な恋に目覚めて*8な作品です。

 

 3-2-1. 歪んだ方法でしか愛せない男の悲劇とそんな愛が向けられてしまった男の悲劇が美しすぎる

 あらすじを読んだら多分分かると思うんですが、所謂攻めサイドの日高は圭のことが好きなのに、苦しめることでしか愛すことが出来ない歪んだ男です。しかし、日高も元々はこんな歪んだ人物ではありませんでした。それなのにそうなってしまったのは、若かりし頃の圭の言動故だったのです。......が、その話は次項で話すのでとりあえず置いておきます。兎に角、明るく、誰からも愛され、健康的でのびのびと育った圭は、日高のような病的な世界とは無縁な生活を送ってきました。しかし、日高に愛されてしまったばかりに、圭は日高の病的な世界に飲みこまれ、共に破滅の道を歩む運命を辿ってしまいます。

 ここには、

 ・愛しい人を愛したいのに傷つけることしか出来ない日高の悲しい姿

 ・日高と出会わなければ光の中で生き続けられたであろう圭が日高と出会ってしまった悲劇

 ・日高をそんな人間にさせてしまったかつての無邪気で残酷な圭の罪

 ・圭に救いを求めれば求めるほど自分が崩壊していってしまう日高の姿

 ・日高の激しい闇の中で圭は初めて愛を知ってしまったという悲劇

 ・そしてその愛が全てを破壊しまったという悲劇

 ・圭のことを愛していたのに、最後まで圭を歪んだ愛でしか愛せなかった日高の悲劇

 ・圭の光から逃れられない日高と日高の闇から逃れられない圭の悲劇

 が詰まっているのです。これが本当にたまらんくて美しすぎるのですよ.....。互いが互いの首を絞め、共に闇に堕ちて行く愛憎劇がマジクソにたまらんのですよ........。所謂「愛に対して妥協できない」腐女子の感性に直撃なんですよ......。語彙力が無さすぎて何言ってんだコイツ状態な説明しか出来ず本当に申し訳ないです......。

 こう書くと圭が全部悪いみたいに感じると思いますが、まあでも元々は若かりし日高が変態的アプローチをしたのが大体悪いんですけどね。

 全く関係ないんですが、私が大好きな作品こと「絶愛」で、登場人物の南條晃司が「自分の愛が泉*9を傷つけてしまう」みたいなことを言っていたはずなんですが、それを深く突き詰めて行ったのがまさにこの作品的なところがあります*10

 

 3-2-2. 知らないという罪と知り過ぎたという罪の間で苦しむ人々の悲劇

 ※この部分めちゃくちゃ思いがあるんだけど、上手くまとめられなかったので他の部分に増して意味不明文章になっています。すみません。熱だけでも伝わってほしい。

 上記で、この作品は色んな悲劇が交差してとんでもないことになる(語彙力)ことが分かっていただけたのではないかと思うのですが、その悲劇の根底にあるのが、知らないという罪と知り過ぎた罪なのです。そして、その「知らない罪」の象徴が圭であり、「知り過ぎた罪」の象徴が日高なのです。この相反する罪が交差した時に引き起こされる化学反応?が、圭と日高の悲劇を通して美しく描かれているのがこの作品だと私は思っています。

  3-2-1で軽く述べた通り、日高を歪めたのはかつての無邪気な圭です。非の打ちどころがない、絵に描いたようなスーパー攻め様状態な生い立ちの日高はそんな自分に疲れを感じていました。本編では、「精神的な不健康」「発散することのないオリのようなものが、日高の肉体に澱んでいた」と表現されています*11 。で、そんな日高(当時大学生)の目の前に現れたのが圭だったのです。圭はそんな病的な世界とは無縁で、明るくて健康的なのびのびとした子どもでした。どこか病的な日高は、自分が永遠に手にすることが出来ないであろうものを持っている圭の姿に惹かれ、この人ならば自分を闇からの解放をしてくれるかもしれないと圭に希望を抱きました。そして日高は、圭に自分の思いを打ち明けます。しかし、それに対して、圭は「俊明さんって、おかまだったのかあ」と笑っただけでした。何も知らない子ども特有の残虐さは日高の心を深く傷つけてしまったのです。

 しかし圭は知らなかっただけのです。日高がどういう生い立ちで、どういう思いを抱いて過ごしていたのか、そしてそんな自分の目の前に現れた圭が如何に希望の光に見えていたのかを。そして、毎年誕生日に匿名で薔薇の花束を送ってくれていた日高の気持ちさえも。知らない、それが圭の人生最大の罪なのです。そしてここから知らないという罪と知り過ぎたという罪の間で苦しむ人々の悲劇が始まったのです。

「あんたってバカね、本当にバカね。気づこうとさえ思えば、すぐに分かることなのに......。俊明さんはどんな気持ちだったでしょうね、毎年、毎年カードを書きながら.......」

 噎せ返るような薔薇の香りが、唐突に圭を包んだ。それは、まるで日高の執念のようだった。圭は、わけのわからない不安におびえたのである。

(引用:野村史子『テイク・ラブ』角川書店、1991年、p.216「薔薇はもうこない」)

  そんな悲劇の幕開けを表現しているのがこの文章なんですけどこれ超来るものがありませんか......。ベタベタのクサクサなんですけど私はこういうのにめっちゃ弱いんですよね......、

 <ここから自己解釈>これは私のただの妄想なのですが、日高はハイスペック故に普通の人だと一生見ることが出来ないであろう、つまり知ることが出来ない景色を見てきて過ごしてきたんだと思います。それ故、日高は良くも悪くもこの世を知り過ぎてしまったのでしょう。それが精神的に不健康さに繋がっていったのではないかと私は思うのです。だからこそ、そんな世界とは無縁な真っ白な世界でわんぱくに生きる圭が希望に見えたのではないのでしょうか。

 日高がどんな思いを抱いて自分に対する恋心を打ち明けたかを知らなかったというところから始まった、圭の知らないということに対する贖罪は、日高が本当に心から自分を愛してくれていたことを知らずに死んでいくということでした。知らないという罪を背負った人間が、知ろうとした途端に全て崩れて行くっていう図が美しすぎる.......。

 それと同時に、実力も金も地位も名声も手に入れ、この世を知り尽くしてしまった日高の贖罪もまた知り過ぎるということでありました。唯一手に入らなかった圭という存在を、自分が持っているもの全てを行使し無理矢理手に入れた日高は、圭の愛が自分の方向に向き始めた途端に、自分が唯一手に入れられなかった、そしてこれからも永遠に手に入れることが出来ないのは圭ではなく、愛する人をただ純粋に優しく愛することが出来る――いわば正常な愛であるということを知ります。そしてそれと同時に、異常な愛でしか愛する人を愛せない自分の悲しい運命を知ってしまいます。日高は自分を知り過ぎてしまったのです。手に入った途端になんの魅力も感じなくなってしまい、簡単に捨ててきてしまった自分を。

 圭の愛が自分の方向に向き始め、まもなく圭は自分のものになる。そうすれば今までと同じように、自分は圭を捨ててしまうのだろうか。日高はそれが怖かったのです。なぜなら圭を本当に愛していたから。圭になんの魅力も感じなくなり、冷たく突き放す自分が怖くなった日高は、圭が自分を愛するようになる前に圭を殺し、この状態を永遠にしようと思い立ちます。

 しかし、日高は知り過ぎてしまったのです。そんな歪んだ自分の愛、そして愛する圭を殺した後の世界で生きることが出来ない自分に。圭を失わず、そして圭へのこの思いを失わずにいるためには――この今の状態を永遠に続けるためには自分が死ぬしかないということを。いくら光の中に包まれても消えることのない闇が自分の心にあるということを。自分の闇から逃れられない自分を。この闇から逃れるためには死しかない自分を。</ここまで自己解釈>

 そんな「知らない」の象徴である圭と、「知り過ぎた」という象徴である日高を上手く表現してる文章が本編にあるので貼っておきます。

 圭は、愛と憎悪の、ぎりぎりの淵に立っていた。それがどれほど危険なことであるか、知っていたのは日高の方だった。

(引用:野村史子『テイク・ラブ』角川書店、1991年、p.268「薔薇はもうこない」)

  この文だけ読んでも「?」としかならないかもしれませんが、既に愛と憎悪のぎりぎりの淵に立っていて、この場所の残酷さを知っている日高が同じ境地に辿り着いてしまった圭を見つめているってことが描かれているこの文章め~っちゃ美しくないですか......。

  話すとマジでキリがないのでさらっと話ますが、実は圭の姉は圭が杉原のことを好きなのを知ってたんですよね。分かっていながら杉原と結婚しちゃったんですけど、そのこともそのことに関して姉がどう思っているかも圭は知らないんですよね。それもまた圭の贖罪ちっくで激萌えなんですよね。

 あと、圭は半年ほど逃げ出すんですけど、その間に姉が身を粉にして働き続けて最終的に死んでしまったので、杉原は姉が死んだのは圭が日高からの要望を拒んで逃げ続けたからだと責め立てるんですけど、圭は日高の性的奴隷になることから逃げていたのではなく、姉を愛する杉原を見たくなくて逃げたんですよね、でも杉原はそれを知らないし、圭は言えるわけがない。対杉原になると、杉原が知らないの象徴で圭が知り過ぎたの象徴になるのめっちゃ上手く作られてるなと思います。うまく言えないんですけど。

 

 3-3. 文章が生きていてそれでいて美しい

 ここまでこの記事を読んだ且つこの作品を読んだことがない方は、恐らく「こいつ殆ど話バラしてるじゃねえか、ばかだなあ、読ませる気ねえだろ」ってお思いでしょう。......。....................................。

 バカヤロウ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 こんなヘタクソな文章であの作品の美しさが伝えられている訳がないだろう!!!!!!!!!!!!! この作品は!!!!!!!!!! 文章が!!!!!!!!!! ありえんほど!!!!!!!!! 生きていて!!!!!!!!!!!! 美しいんだよ!!!!!!!!!!!! 彼女の文章であの作品を味わなきゃ!!!!!!! 何の意味もねえんだよ!!!!!!!!!!!

 ということで、この作品は文章が生きているのです。この作品の話の展開自体もそうですけど、文章が振り切っているのです。文章が彼女の中にある情熱を表現するために最大限に生かされているのです。

 文自体はめちゃくちゃだったり自己陶酔感が半端なくて、普通の商業作品や文芸作品だとご法度であろう文章・表現方法全開なんですけど、この作品がいるのは小説道場という何もかも許されてしまう*12フィールド。故に文章が生き生きしまくっている。それ故に文章がとても美しい!!!!  やっぱ小説道場は良い文化だな.....

 ということでそれを正に物語っている且つ私がこの作品で好きな文章の一部をご紹介いたします。

「あんまり泣くと、絶縁体が濡れるよ、君がつらいだけだ」

 涙でぐしょぐしょの圭の顔にキスをして、日高は、やさしくいった。いいながら、スイッチをいれた.................................................................................

(引用:野村史子『テイク・ラブ』角川書店、1991年、p.207「薔薇はもうこない」)

 見てこの三点リーダー(「......」)の多さ!!!!!!!! 自由すぎでしょ!!!!!!! 私が適当に打ってると思うでしょ? 違います。数えてみたら81個あったのでちゃんと81個打ってます多分(?) こうして見るとあんまりインパクト無いかもしれませんが、紙で読むとこのパワー感が半端ないので是非感じてほしいです。このほかにもこの作品には自由すぎる文章がちりばめられまくっています。自由すぎて笑ってしまいますがやっぱり良い。

 唐突に、遠い夏の日の情景が、圭の脳裏によみがえった。頬を染めて、圭に、好きだ、といった美しい従妹。涙がこぼれた。

 かれは、初めて日高の悲しみを理解したのだった。知らない、ということの残酷さ、知ろうともしなかった罪の深さと共に......。

(引用:野村史子『テイク・ラブ』角川書店、1991年、p.254「薔薇はもうこない」)

 ああ~~~~~~~~美しいよ~~~~~~~~~~~~~~!!!!! ここだけ抜粋しても伝わらないかもしれませんが、この前に繰り広げられている愛憎劇を見てからこの文章を読むともう胸が苦しくて最高&最高

 でも一番好きな文章はラスト15ページ程度ですね。

 「――幸福な圭。光の中の圭。さようなら。私は、私の闇から逃れられない」 

 (引用:野村史子『テイク・ラブ』角川書店、1991年、p.278「薔薇はもうこない」)

 これとか。クライマックスは本当にずっと美しくて苦しいので読んでいて本当にたまらないので是非読んでほしいです。特に最後の二行の美しさったらない!!! けど是非あの美しさを本編で堪能して欲しいのでここではあえて紹介しません。

 とにかくこの作品の文章は振り切りまくっていて、それでいて一つ一つが美しくて胸を締め付けられるのです!!!!!!

 

 3-4. SMモノの醍醐味が分かる

 SMモノの作品なのにSMに触れるのが最後になってすいません。けど、最初に述べたように私的にはSM描写は後からついてきたようにしか思えないんですよね。*13

 個人的にSMモノな恋愛劇って別に特に萌えるってものじゃなかったんですね。何がしたいのかよく分かっていませんでした。中島梓先生はSMシーンはエロくて良かったと述べていましたが、SM嗜好のない私からしたら「そうか~?」としか思えませんでした。SMシーンは昭和感半端なくて尚更(ド失礼)。が、最終的に私はこの作品でSMモノな恋愛劇の良さを知りました。

 個人的にこの作品のSMシーン自体は大したことありません。しかし、中島梓先生がエロいと感じ、そして私は目覚めてしまうほど()魅せられたのは!!! まぎれもなく!!! その前後に!!!! 圭と日高の激しい愛憎劇があったからでしょう!!! 日高がどういう経歴を持ち、どういう気持ちで圭を痛めつけているのかの想像を膨らませながら読むと!!! ハァ~~~~~たまんねえなァ~~~~~!!!!!!!!!! 圭を痛めつけている時、日高もまた自らの首を絞めている・圭に痛めつけられているこの感じがたまらねえ~~~~~~~~!!!!! って感じになります。

 ということで、この作品は「JUNEちっくなSMモノが書きたいならその前後に激しいドラマを盛り込め」ということを教えてくれる作品です(?)。物理的にも精神的にも追い詰めるSMは最高*14

 

4. 終わりに

 BLにしろJUNEにしろ、男性同士の恋愛劇を書く・読む文化って、男性が好きであることが前提に成り立っている文化じゃないですか。しかし、野村史子さんは男社会に対する憎しみから作品を書き続けていたそうです。詳しくは下記の記事を参考してください。

wan.or.jp

 この話を踏まえて改めて見ると、彼女の作品たちが未だに衝撃的で唯一無二でありつづける理由が分かるような気がします*15。そんな彼女が生み出した衝撃的な作品の数々の中で、普通に愛することが出来なくて、もがき苦しんでいる男二人の愛憎劇を激しく、そして美しく描いた「薔薇はもうこない」が私は大好きなのです。野村史子さん自体の話もしたいのですが、いかんせん私が彼女のことを何も知らなさすぎるので、もうちょっと知ってそれで気持ちが昂りまくった時に書きたいです。

 ところで、古き良き時代のJUNEのテーマの一つは「愛に妥協出来ない孤独な少女たちによる、愛との孤独な戦い」だと私は考えているのですが(大真面目)、この作品を読むと、愛を追い求めつづけているのにいざその愛が自分のほうに向くと、その愛を受け止めることが出来ず自滅してしまうあたりにJUNEはやっぱり少女――子どもの文学なのだなと思ってしまいます*16。だからなんだよって話なんですけど、そんな矛盾した世界観がたまらないぜ。

 という訳で、この記事を読んで、少しでも「薔薇はもうこない」が気になってくれたら幸いです。そして読んで、インターネットの海に感想記事をぶち撒いてください。私は人様が書いた野村さんの作品の感想文及び野村さんの作品から始まる腐女子論に飢えているので本当にお願いします......。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

*1:ちなみに、(いよいよ年齢を疑われますが、)私がこの作品と出会ったのは2017年です。

*2:ちなみに、野村史子さんは「さん」で、魔木子先生は「先生」呼びなのに特に深い意味はありません。なんかそう呼びたいのでそう呼ばせてもらっているだけです。

*3:この書籍名にもなっているテイク・ラブもすっごい激しくて名作なので本当に読んでほしい

*4:私が持ってるのはスニーカー文庫のほうだけなので本当に挿絵があるのかは分からないけど.....

*5:自前だよ

*6:美しい作品の美しさを伝えたくてこの記事を書いているのに相変わらず私の文章は下品極まりない

*7:ところで「知らないという罪と知り過ぎた罪」ってフレーズの仮面ライダー剣感が半端ないですね

*8:JUNEのキャッチフレーズ

*9:南條晃司が好きな相手

*10:絶愛のほうが後に生まれた作品なんですけどね

*11:っていうかこの表現超美しくない???

*12:なぜなら小説道場はデビューを目的とした人々が集まる場所ではないからだ いや小説道場出身の作家さんは沢山いるけど どういうことだよって思う人は自分でぐぐって

*13:いや、「SMが書きたい」ってなって書き始めたのかもしれませんが、でもその根底にあったのは上記で紹介したような別のモチーフがあったのではないかってつい思ってしまいます

*14:そんなの常識なんですけどってマジレスが聞こえてくるけど私にとっては大発見だったんです、、、

*15:あ、いやでも憎しみからBL書いてる感ある人もう一人知ってた.....けどここでは言わない

*16:ここでいう少女や子どもは年齢的な話ではないです