ReShatta2

せんこーこーこーりーしゃった!った!

三年ぶりに小説道場の門を叩いた話

 最近というかここ二年ほどオフのことで色々と悩みつづけている。その悩みのおかげで元々無かった生気がさらに失われているような状態だ。どんな悩みかは言わない。

 私は何の取り柄もなければ気力もない。そんな自分が生きていると感じられるのは、文を書いている瞬間だけだった。でもそれも楽しいと感じられなくなってきていて、ここ半年ほどはふらふらとゲーセンに行ってはぼんやりゲームをするだけの人間になっていた。話はそれるけど、アケゲーがなかったら私は今頃マジで病んでいただろうからゲーセンマジでありがとうなんたって私はアケゲーしてたら思うように文が書けるようになったと行っても過言じゃないしなこれからも貢いでいくわ(?)。

 どうしてこんなに文を書くという行為が以前より楽しくなくなってしまったのか。いつになっても(ツイッターや二次創作や日記状態のブログ記事以外の)力の入った文を書こうという気持ちになれないのか、ずっと考えていたが答えが見つからない状態でいた。だけどその頃はゲーセンでゲームをするのがとにかく楽しくて、「そんなことを考える暇があるならゲームがしたい、どうせ文を書くことは好きなんだからまたいつか書きたくなるだろう」と思ってやっぱりゲーセンでゲームばかりしていたゴミクズだった。

 

 そんな感じでゲームばかりしているような生活を送っていたのだが、最近オフでJUNE文化のことを思い出すような出来事ことがあった。

 私は大学4年生の冬にJUNE文化を知り、短期間ではあったが、それはもう気が狂ったようにのめり込んでいた。参考記事(気が狂っているので注意):

mi8no.hateblo.jp

mi8no.hateblo.jp

  しかし、大学生という少女でいられる(ここで言う少女とは、まだ何者でもない存在であり、何かに対して全力でのめり込むことが出来る状態のこと)最後の時期を終え、社会人になった私は、グロテスクな社会の中で、JUNE文化のこと――というよりはJUNE文化に熱を上げていた頃の純粋な自分を忘れていった。

 そんな状態の時に、オフでJUNEのことを思い出す出来事があったのだ。どんなことがあったのかは書けないけれど、端的に言えば、小説道場で言われていた・過去の自分が書いたブログ記事の言葉を借りて言うならば、「愛について妥協出来ない」という言葉を、私は理解したようで全く出来ていなかったという現実に直面してしまったのだ。

 「愛について妥協が出来ない」という言葉はあくまで概念の話で、実際はみんな妥協して生きていくのだろうと思っていた。実際、私は簡単に妥協が出来てしまう根性無しな人間なのだ。(妥協が出来るくせに人付き合いが出来ないのはなんでだよというツッコミは受け付けない。) だけど、本当に妥協出来ないような人も世の中には存在することを知ったとき、ここ二年ほどずっと曇ってみえていた世界に何か光るものが見えた気がして、私は三年ぶりにJUNEのことを本当に思い出した。ちなみに、「本当に思いだした」とは、今本当に自分がJUNEを必要としているという意味だ。

  「愛について妥協出来ない」ということを理解したい。理解出来なくても、せめてもう一度JUNEについて把握しておきたい、だから今こそJUNE文化ともう一度向かい合う時だ、そう思い、私はJUNE関連の書籍を読み返すことを決意した。まずは私がJUNEと出会うきっかけとなった絶愛・BRONZEから読むか......と思ったのだけど、時間がない(こういう時本当に社会人はクソだと思う)のでいきなり小説道場の門を叩くことにした。

 

 私は、「JUNEとは何か」「愛について妥協出来ない存在」については小説道場1巻のあとがきが全てだと思っており、今回もそのつもりで小説道場をあとがきを軽く流し読みした後に1巻の頭から読み始めた。

 結論から言うと、今の私に小説道場1巻のあとがきはあまり刺さらなかった。初めて読んだ時は衝撃でしかなかったけど、それから何度も読んでは胸に刻んだ文章だからか、あまり感動はなく、やっぱりそうだよねと頷いただけで終わった。そこに今の私が求めているものはなかった。だけど、その代わりに、初めて読んだ時はあまり思うことはなかったはずの本編に激しく心を打たれた。

 文面から溢れる、中島梓先生がJUNE文化を心から愛していて、門弟たちがより良いJUNE小説を書き上げるために時に全力でぶつかり、時に全力で受け止めているその姿に、読んでいて思わず目頭が熱くなった。初めて読んだ時は、この人熱量が凄いなあと笑っていただけのその姿が、今の私には深く突き刺さった。

  1巻に収録されている回はどのページを開いても、情熱の宝石箱状態(?)なのだが、特に私の心に突き刺さったのは、第十三回の以下の文章だ。

伝えたいことがないなら小説なんか書くな! 一人でも多くの人に、自分のイメージを伝えたい、と思わないなら、書いたものを人になんか見せるな! へんヘーの嫌いなのは、つたない小説でも、平凡な小説でもない。へんヘーは一人よがりの小説と、小手先でひょいひょい書いてる妙に「書きなれ」のした小説がいちばん嫌いだ。どちらにも、つたなくともこれだけは人に伝えたい、という気塊がない! 熱くなれよ、書くからには。キャラでもシーンでもストーリーでも何でもいいから、何かひとつに入れこむのだ。プロなら金のため、いま書きたくもない話を、書かにゃならんこともある。投稿してるうちから、妙に「悪ズレ」したものや、一人よがりの誰にもわからんものを書いてどうする。熱いのが諸君のいちばんのとりえじゃないか。前にもいったが、〆切もなく、書きたいときに自分のペースで好きなものが書ける、いまがいちばん幸せなのだよ、諸君は。もっともっと、小説との蜜月を楽しみなさいよ。

中島梓 著「新版・小説道場1」光風社出版、1992年)

 

  ※ただし、私が読んでいるものは天狼プロダクションから発行・ボイジャープレスから発売されている電子版です。故にページが不明です。すみません。

 この文は激しく私の心を揺さぶった。なぜこんなに揺さぶられるのか、この時はよく分からなかった。ただ、分かることは、今の私は全く熱くないということだった。生きることにおいても、文章を書くことにおいても、何に対しても。

 そしてここで私はかつてコバルトさんの短編小説新人賞に応募して、運良く最終選考作品に選ばれ、選評で、「醒めていたり無気力だったり虚無感のある雰囲気が漂っている」と評価された時のことを思い出した。参考:

mi8no.hateblo.jp

cobalt.shueisha.co.jp

 あの文は、10代の頃から自分の内側でずっと重く沈んでいて、一人で抱え込み続けてきた思いの一部をやっと発散させることが出来たものだった。ものすごく自分らしく書けたと思っていた文なのに醒めているとは何事だ。無気力だと評された文だが、その無気力な文を私は全力で書いた。私はこの思いを絶対に書き上げて世に伝えなければいけないという使命感に駆られていた。今読むと下手くそな文でしかないけれど、あの頃、私は確かに熱くなれていた。

 .....ということを思い出して、改めて上記の引用文の「熱くなれよ、書くからには」という文章を読んで、ハッとした。

 あの作品は、他人からすれば、虚無感や無気力さに溢れていたり、醒めていたりと、読み手を暗い気持ちにさせてしまうものだったかもしれない。だけど、私が書きたいのはそれなのだ。私が熱くなって書けるのは、それしかないのだ。無気力であることに対して熱くなれるなんて、端から見れば、すごく矛盾しているけれど、実際そうだから仕方ない。私が普通の人よりも少し上手く書けるのは、そういった、本当は触れてはいけない部分しかないのだ。ということを、上記の引用文を読んでやっと気がついた。

 

 思い返せば、2018年に本格的に創作小説を書き始めて、あの作品とバブル小説以外において、私はいつも自分を偽って小説を書いていた。

 私だって偽りたくはなかった。だけど、わけあって、何でもいいから今すぐに実績が欲しい状況だったのだ。(悩みのことも、JUNEを思い出す出来事も、このくだりも、肝心なところは全部伏せてしまってごめんなさい。ありのまま話したいけれど、これらの部分は不特定多数の人が見ているところではどうしても書けませんでした。でも直接聞いてくれたら身内になら全然話します。)

 本当の私をむき出して書いたところで、それはあまりにも暴力的すぎて、大衆に受け入れられないことを私は知っていた。だから、自分を偽って、大衆受けするように意識して創作文を書いていた。.....けど、今思えば、実際に上手くいったのは少しでも自分をさらけ出せた文で、そうやって大衆受けを狙って書いた文はドン滑りだったなってここまで書いて気がつきました........知ってないじゃん、バカすぎる......。

 そうやって大衆受け()を自分なりに狙いながら()書いてた時に、コバルトさんの短編小説新人賞でああいった評価をもらったものだから、「バブル小説もそうだったけど、確かにあれは読み手が幸せにならないもんな、もうああいう路線の文はやめて、明るく書かなければ」と思うようになり、本当は全然明るい性格でもないのに、自分を偽って創作文を書く癖が加速したのだろうと、今なら思う。ちなみにブログ記事とツイッターと二次創作はいつでも私そのものなのでそこは信じてほしい(?)。

 

 小説道場第十三回の上記の引用文を読んで、最近の私は文を書くことに対して全く熱くなれていないことを思い出した。その原因は間違いなく、自分が書かずには生きていけない人間であるにも関わらず、その大好きな、文を書くという行為に偽りの自分を以て向き合っていたからだ。

 ここまで読んで、「でも、ツイッターとブログ記事と二次創作は自分そのものなんでしょ? 嘘ついてない部分もあるじゃん」と思う人もいるだろう。だけど、私にとって文章を書くとはあくまで創作小説(や、全然書いてないけど論文ちっくな文)を書くことであり、ツイッターや日記状態のブログではないのだ。なぜなら、私にとって(二次創作小説はそんなに気軽に書けないからちょっと違うが、)それらは、呼吸をするのと同じくらいあたりまえのことだからだ。

 

 話を戻す。自分を偽って文を書いていたならば、これからは正直に書けば良い話だ。だけど、それが私は怖かった。

 なぜなら、私は性格がめちゃくちゃ悪いからだ。私が文を書くことにおいて一番興味があって、一番上手く書けるのは、無気力だったり虚無感のある分野であると言っている点で察してほしいのだが、私はめちゃくちゃ性格が悪い。ひねくれている。歪み散らかしている。

 日頃、気が置けない友人の前とツイッター以外では(悲しい)思っていることをめちゃくちゃ我慢して過ごしている(だから人付き合いが嫌いだし、それに相手も不信に感じちゃうから友達も少ないんだろな......)。信じられないくらい性格が悪い。自己中心的思考が半端ない。それでいて興味がないことにはとことん冷たい。普通の人が「良い天気だね」といったら「そうだね、こんな日はお散歩したくなるね」と答えるなら、本心の私は「そうだね。で?」という感じだ。実際はそうはいかないので、私も「こんな日はお散歩したくなるね」と無理矢理言うが。世の中が私みたいな人ばかりだったら間違いなく明日には地球が消滅する。

 というわけで、日頃、常に「これ言ったら相手はどう思うかな......」だとか、「こう言ったら多分相手に引かれちゃうからこう言わなきゃ」ということにばかり怯えて過ごしている。要するに、そんなクズみたいな私がありのまま書いた文は間違いなく人を傷つけるということだ。

 こんな状態で、一体どうすればいいんだと思いながら、小説道場2巻を読んでいたのだが、第二十七回に、まさに私に宛てているような文があった。

よい小説は、読み手、つまりコミュニケートの相手をあらかじめ想定し、その反応に対して怯えている状況からは生まれてこない。たとえとてもよい設定とキャラと情念を君がもっていてさえ、そうやってものごとに予防線をはることが、君がストレートにそれを世に表現することから邪魔になる。人に受入れられないのじゃないか、笑われるのじゃないか、私だってちょっとしたものなのだ、どうせわかりゃしないだろう——そんなことをもし少しでも感じたとしたらかなぐりすてなさい。時間のムダだ。あなたと世界の間にあなたの小説をおくのだ。あなたと小説の間に読者をおいてはいけない。もっとストレートに、もっと無条件に自分の書きたい小説とキャラに自己陶酔することも必要である。相手の反応を予めはかってそれに対して怒ってはいけない。君の小説、君のそういう内面が丸ごと出ていますよ。

中島梓 著「新版・小説道場2」光風社出版、1993年)

 この部分を読んで、激しく胸を締め付けられ、気分は涙が止まらないという感じだった。

 私は94年生まれで、この本が出されたのは93年で、JUNEに掲載されていたことを考えるとこの文自体が書かれたのはさらにもっと前の話だ。要するに、これは私が生まれてくるずっと前に書かれた文章だ。なのに、どうしてここまで私の悩みを的確に突き、そして私が求めていた答えを書いてくれているのだろう。これは道場の門弟に向けて書かれた文章であるが、あまりに私の悩みを的確に捉えすぎていて、「私のことをずっとここで待っていてくれたのか」とつい思ってしまった。実際には三年前に読んでいるはずなのだが......。まるで、私はこの文章に出会うために、そして、この文章に涙を流す(流してない)ために、この二年ほど苦しんできていたのかといわんばかりの衝撃だった。

  

 わけあって文で実績が今すぐに欲しい状態だったと話したが、上記の引用文を読んで、私の考えは変わった。

 偽った文で仮に沢山の実績が出たとしたら、世の中はそれを求めているということだ。それはつまり、その路線で一生いかないといけなくなる――自分に嘘をつきながら生きていかないといけなくなるということだ。何の取り柄もなければ、人付き合いも世渡りも下手くそな自分に唯一与えられた、書くという、何よりも生きていると感じる瞬間や行為にさえ嘘をついて生きていかなければいけなくなるということだ。そんなの、いつか自滅に追いやるだけだ、と私は気が付き、その時ようやく、二年ほど私を縛り続けていた(というか自ら縛られにいっていたのだが)自分を偽って文章を書くという呪いから解放されたような気がした。

 

 私は「愛について妥協出来ない」とは一体何だったのかを再確認するために、今回、小説道場を再読した。JUNE文化でいう「愛について妥協出来ない」は、私でいうところの「文を書くこと」なのだと思う。私は自分のことを、簡単に妥協出来てしまう人間だと思っていたが、そうではなかった。私にも妥協出来ない部分がちゃんとあったのだと気付けたことがとても嬉しい。

 「愛について妥協出来ない」とは、端的にいえば、「どう頑張っても捨てられない部分」「その部分を捨てれば自分が自分でなくなる部分」であるという結論に至った。もっと分かりやすく言えやと言われると、残念ながら私の今の技術では言い表せないので、ここまでの文で感じ取ってほしい(最後の最後で無責任でごめんなさい)。あくまで、これは今の私の考えであり、今後はまた変わってくるのかもしれないが、その時はその時だ。

 

 結論が出たとはいえ、やっぱり不安は拭い去れない。性格が悪い私がむき出しで書いた文は間違いなく人を傷つけるだろう。この記事だってもしかしたら既に誰かを傷つけたり不快にさせているかもしれない。

 だけど、思い返してみれば、そんな文を書いて、受け入れられなかったことももちろんあるが、共感してくださる方もちゃんといた。ありがたいことに、こんな奴のために貴重な時間を割いて熱のこもった感想文を書いて送ってくれた方や、私の文が好きだと言ってくれる方や、もう何年も前の記事なのにも関わらず未だに反応してくれる方や、変わらず仲良くしてくださる方がいた。

 それなのに、私は今日までそれに気付かず、大迷走ひとり相撲時代(?)状態だった。私はなんてクソ野郎なのだろう。

 今まで私の文に反応してくださった皆さん、本当にありがとうございます。そしてせっかくのお言葉を信じきれなかったクズで本当にごめんなさい。これからは今まで頂いた言葉を胸に、また昔みたいに狂った文を書いていこうと思います。ここまで書いて思ったんですけど、信じるってすごく難しくて、覚悟がいることですね。。。

 

 久しぶりに、過去の自分を超えられたと思えるような文が書けて、今、私はとても達成感に包まれている。ここまで自分の感情に沿って、それでいて概ね思うように表現出来た文章は久しぶりな気がする。

 おそらく、他人からすればこの文は、結局どこが軸で何が言いたいのかよく分からないだろう。JUNE文化を知らない及び小説道場を読んだことがない人からすればなおさらだろう。構成も練らずに思いつくまま書き連ねているのでそう思われても仕方ない。その気になれば、解説をいれたり、焦点を合わせて、読みやすい文にすることはおそらく出来る。だけど、今回はあえてしない。

 この記事は、小説道場を読んだ直後の熱量を鮮度が落ちないうちに伝えたかったというのと、先生のいうところの、(この記事は小説ではないが)「もっとストレートに、もっと無条件に自分の書きたい小説とキャラに自己陶酔することも必要である」を今の自分はどこまで出来るのか見てみたかったから書いた。悩みの部分とか小説道場を再び読むきっかけになった部分を伏せてる時点でまだ大分隠してると思われるかもしれないけど、そこはまあ許して欲しい。知りたい人は直接聞いてくれたらと思う(ただし身内に限る)。とりあえず、自分では自分が予想していたよりもよく書けて満足している。

 

 小説道場を読み直したおかげで、ずっと悩んでいた大部分が解決されたとはいえ、まだ完全には悩みは解決されていない。だから、これからはその残った悩みをどうにかして解決する必要がある。故に、すぐにまた文を公開することは出来ないだろう。だけど、その日は必ず来ると思うので、その暁にはぜひ読んでほくそ笑んでいただきたい。そして、いつか悩みのこととかも、そんなこともあったよなあと、笑って書けたらなと思う。

 

少女たちのアナーキズム万歳。それを失ったとき、少女たちはおばさんになるのです。

中島梓 著「新版・小説道場4」、光風社出版、1997年)

 

(了) 

 

新版・小説道場1

新版・小説道場1

 
新版・小説道場2

新版・小説道場2

 
新版・小説道場3

新版・小説道場3

 
新版・小説道場4

新版・小説道場4

 
小説道場ご隠居編 新版・小説道場

小説道場ご隠居編 新版・小説道場

 

 

 

 

 

万年八段日記 ~正規厨の葛藤~

 言うほど葛藤してないです。

 最近もビートマニアがたのしいです。アルティメットモバイルで毎日ちょっとずつ☆9や☆10にランダムかけて練習して、週1ペースでアケをするって感じです。もうある程度☆10フォルダにはつばを付けてしまっているので、「○○クリア出来た♪ 嬉しい♪」って報告が出来ないのがさびC。ブログ書きたいほど嬉しいとは思わないハード特攻成功とか久しぶりにやったら出来た大して難しくない譜面とかばっかクリアしてますね。昔から出来なかったやつは今も出来ない。。。。

 ちまたで九段挑戦したいならランダムつけて練習したほうがいいって話をよく聞きますが、そろそろアケでもランダム常備したほうがいいのかなと思うこの頃です。いやでも全くノマゲ出来ないっていうほどじゃないとはいえ☆10のランダム絶望的に下手くそなんですよね.....。事故死してクレを無駄にしてしまうのが怖い.....(☆9はよっぽどのことがなければ出来るはず....)。けど、クレを無駄にしないかわりに、なかなか伸びないってのはそれもある意味クレの無駄にするってことなのかもしれないなって書きながら思いました。よし、次行くときはランダム特攻してみようかな~!

万年八段日記 プロローグ(後編)

 万年八段日記プロローグ後半、まずはCANNON BALLERSとRootage時代の最終プレー状況画像をお届けいたします。とてもやる気がない様子がうかがえます。いや違うんや、やる心の余裕もなかったんや.................。

 

■CANNON BALLERS

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 粘着がバレバレだあ...................。

 

ちなみにCBで八段に受かった時の記事:

mi8no.hateblo.jp

 

■Rootage

 

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  クソザコすぎる.....(´・-・`) 思わず古い顔文字使いたくなるほどにザコ

 

 続きまして、HEROIC VERSE稼働当初の時の状況画像をご覧ください。

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 では最後に、八段合格画像コレクションの状態をご覧ください(初合格Copula、SINOBUZ、CANNON BALLERS、HEROIC VERSE)

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 達成率はともかく、私のクプロ、毎タイトルかわいいでしょ(自画自賛)

 

 ちなみにシノバズの時のクプロと最も気に入っているCopula時代のクプロはこちらをどうぞ:

mi8no.hateblo.jp

mi8no.hateblo.jp

 

 では次回からは、私の社会で荒んだ心を癒す弐寺活動をお送りいたします^o^

 

万年八段日記 プロローグ(前編)

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 先日、Rootageぶりに八段を取得しました......。というかやっと腕前が元に戻りました。1タイトルぶり、4回目の八段です。もう立派な万年八段ですね。前作七段だけど。

 ということで、突然ですが、大学時代にやっていた弐寺日記を再開しようと思います。

 

 社会人になってから弐寺をやる余裕がなくなり、当然腕が落ちていくのでそれで更にやる気がなくなるという負の連鎖で、CBこそなんとか八段がとれたもののRootageはとれずにいました。というか、八段がまた取れるよう頑張ろうという気も起きず、Rootageはあまりプレーしていませんでした。そんなのだから当然今作も受からず、これはもう本当に引退だなと思っていました。

 ......なんですけど、でもなぜか今作は八段に戻れました。「もう引退するけど、とりあえずステップアップのクプロだけは回収しておこう」と思い、ちまちまステップアップをやっていたら、楽しさを思い出してきて、こうなった感じです。あとは、「自分の実力は七段なんだ」という事実を受け入れ、気長にやっていこうと割り切れたのも良かったのかもしれません。

 それで、最近弐寺をやるのが楽しくて、以前(※社会人になってから)に比べると結構やっています。どうせやるなら上達したいと思うのが普通です。そこで、上達するためにはやっぱ記録が必要だよなと思い、またブログで弐寺の進歩を書いていこうと決めました。

 

 題して、万年八段日記です!!!!!!!!!!!!!

 

 ......雑魚すぎる!!! けどいいんです。このブログを始めた頃はまだ六段で、七段になろうと頑張っていて、八段になって大喜びしてたようなレベルの私が、万年八段と胸を張って言えるようになったのですから。前作七段だけど。万年八段名乗るわりには達成率低いけど。

 以前、弐寺のことをブログで書いてた頃は、今日は何をクリアしたみたいなことが中心でしたけど、今回はクリアに限らず、譜面に思ったこととか、なんのオプションが良かったとか、メモとかなんでも書いていこうかなと思っています。気が向いた時に軽く書くスタイルでやっていく予定です。なお、更新しなくなったら、ブログに書くのが飽きたか、弐寺に飽きたかのどっちかだと思っておいてください。

 

 前編は、Copula時代に初めて八段に受かった時の自分の☆10クリアランプ状況と今の私の☆10、☆11クリアランプ状況と雑魚雑魚九段進歩画像を公開して終わろうと思います。

 

■Copulaで初めて八段に受かった時(過去ブログから引用)

◆copula七・八段合格時☆10クリア曲数 ノマゲ:(CS限定・削除曲含めて)159曲 ハード:14曲 イージー:(CS限定・削除曲含めて)46曲 アシステッド:6曲 (☆11クリア曲無し)

私のアツい七段活動-2nd style-完結編と八段合格 - ReShatta2

 ■2020年1月31日現在の私の状況

 ☆10クリア曲数

 (※SINOBUZ中期~最近までクリアランプマネージャーを更新していなかったので、正確な数は分かりません。おおよその数です。CS限定・削除曲・レジェンダリア譜面は含めていません。)

  ノマゲ:282曲 ハード:79曲 イージー:38曲 アシステッドイージー:99曲

 

 ☆11クリア曲数(CS限定・削除曲・レジェンダリア含めず)

  ノマゲ: 9曲 イージー:13曲 アシステッドイージー:42曲

beatmania-clearlamp.com

 

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 こちらは今作で八段に受かった直後に受けた九段の雑魚画像です。

 

  後半はCANNON BALLERSとRootageの最終プレー状況の画像と今までの弐寺日記とか八段変遷とかの画像を公開していきます。

 

 おまけ:六段だった頃の私のブログ記事

 

mi8no.hateblo.jp

 

 

ワールド

 今更なんですが、(ストリートファイターのプロゲーマーの)ときどさんの「世界一のプロゲーマーがしている努力2.0」を読みました。おもしろかったです。

 目からうろこって考え方はあまりなかったんですけど、でも自分が日頃思っていることが沢山書かれていて、自分このままでいいんだなって勇気付けられました。あ、でも、面倒くさがりは意志だけでは続けられないから、環境を変えて自動的に続けるシステムを作るって感じの話はなるほどな~ってなりました。さっそく実行してみたいです。

 あと、目からうろこって考え方はあまりないってことは自分と考え方が似ているってことだと思うんですけど、じゃあ自分はその考えを実行出来ているのかって言われると、そうじゃないんですよね......。この考え方を実際に実行するのは簡単なことじゃなくて、それを何年も続けられているときどさんマジパネーって思いました(こなみ)。

 ときどさんの本は前著も読んでるんですが、その時は理論では情熱に勝てないって書かれてたんですね。それで、今回の本では、「理論では情熱に勝てないけど情熱だけでは勝ち続けられないことが分かった。だから、情熱は大前提として、じゃあどうやったら勝ち続けられるのか考えて実行してみた」みたいなことが書かれてたんですけど(まだ斜め読み状態なので間違ってたらすみません)、なんというか、ときどさんの手に掛かれば、努力ひとつにしてもこんなに掘り下げられるのか......ってなりました。自分に合った努力の研究結果レポートみたいな本でした.....ってここまで書いて思いました。

 読みやすくて面白かったです。自己啓発系ってあんまり読まないんですけど、自分が好きなジャンルのトップシーンを走ってる方の本はやっぱ読んじゃいますね。。。ゲームに限らずいろんなことに応用出来る努力の方法が書いているので、ストリートファイターやゲームに疎い人にもおすすめです。

 ちなみにこの文思いついたまま書いているので、全然本の紹介になっていません。だからこそ読んでほしいです(?)

 

 ところで、ときどさんの本とかウメハラさんの本とかを見ると、鉄拳ってつくづく閉塞的なコミュニティだなと思ってしまいます。

 いや、プレイヤーはワールドワイドだし、一度知ってしまえばめちゃくちゃ面白い界隈だと思うんですけど、こう........ストリートファイターと比べて、言語化されていることがめちゃくちゃ少ない故に、今の状態では非ゲーマーの人が鉄拳と出会う・面白さを知ることって不可能に近い=鉄拳eスポーツシーン()が興行として拡大する可能性はかなり低いんじゃないかと思ってしまいます。

 凄いドラマとか沢山繰り広げているのに、文章で残ることはそうなくて(情報サイトに残っているのは残っているけど事実が述べられているだけで、ときどさんの本のような熱さはそこまでない)、映像で残っているのは残っているけど長すぎて熱心なファンじゃない限りは敷居が高すぎるし、プレイヤーのついったーやブログを漁るのも労力がいるというこの閉塞感......。っていうかそれ思ってるならお前このブログで書けばよくね.......? それもそうだね......(????)

 ということで、鉄拳でもこういうときどさんみたいな、非鉄拳プレイヤーでも読めるかつ鉄拳のことが知れる本があったらいいなあと思いました。

 

 そうだそうだここまで書いて思い出した、ウメハラさん絡みの本もっと読みたかったんだった~(今は一冊しか読んだことない) 読もうっと

チョロ客

 最近はオフでここでは書けないことをあれやこれやしているので、記事にしたい話がみつからないぜ。強いていえば、弐寺のアルティメットモバイルをやるために専コンエントリーモデルを注文してて、それがもうすぐ届くのでめちゃくちゃワクワクしているくらいですかね。

 そうなんですよ、アルティメットモバイル。知ってますか、あのゲームセンターでクソデカ威圧存在感を放っている音楽ゲームこと、beatmania iidxが携帯のアプリで遊べるようになったのですよ。革命ですよこれは本当に。数年前にPC版がリリースされた(ちなみにこのブログにはそのテスト版に参加した時の日記が残ってるよ!)時も超革命だと思ったんですが、今度は携帯で遊べるとは。凄すぎる。

 しかもアプリ版はアーケード最新作の曲も沢山遊べるときた。何を考えているんだゲーセンを潰す気か。って感じでもあるけど、世の中にはゲーセンに行きたくても近くにないからなかなかいけない人も沢山いる。そしてゲーセンは超オワコン状態で、弐寺プレイヤー人口も少ない。少ないのにやってる人は大体めちゃくちゃ上手くて新規にとっては入りづらい。あのクソデカ威圧ビジュアルも相まってなおさら。それじゃもう弐寺衰退不可避。ってことを考えると、アプリで気軽に手が出せる、しかも最新曲も遊べるようになったのは本当に良い。弐寺はとにかく曲がめちゃくちゃ良いので、これでアケもやるって人が増えたら良いな、いやもう弐寺に金を落とす人が増えればなんでも良い。

 そんな感じで家で弐寺の練習をする自分を妄想しまくってるこの頃です。早く届いてくれ。家でのんびりランダムノックやりたいぜ。

 

 記事にしたい話が見つからないといいつつ、一個単語上げたら結構書けたな。

 

 .....っていう、何も考えず本当に思いつくまま、いつもしゃべる感じで書いてみるって記事でした。読み返すといかにしゃべるの下手かが分かる......。だからこそ色々考えて組み立てなおしてから発信できる作文が好きなのですが......。

 

ビーマイ

 このブログ読んでたらバレバレだとは思いますが、昔好きだったお笑いコンビの片割れが、早い段階である程度成功していたばかりに、なんかお笑いじゃないことやってるんですよね。いや厳密にはお笑い要素もあるんでしょうが。

 才能があるばかりに、そっちの方面でも上手くいってるんですよね。さすが私が見込んだ芸人。.....ではなくて、ある程度成功しているのはしているんですけど、大成功はしてないわけですよ。そういうことは本業で誰も反論出来ないくらい成功してからやってくれやと凄くモヤモヤしているこの頃です。でも7年ほど彼らの活動を見ていないので大きな声でいえないという。もし私が彼らの立場で私みたいな奴にそんなこと言われたら「お前に何がわかるんや」ってなるよ。。。。

 これが別に興味のない芸人なら良いものの、めちゃくちゃ好きで結構影響受けた方(痛)なばかりに、どうしても気になってしまう......。推しがやることなら何でも受け止める系のファンになってあげろや。